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20歳代の半ばから後半にかけてタイのバンコックへ数回旅行しました。最後の滞在となったときはクロントーイというスラム地区のアパートの一室にいました(ガールフレンドとその女友達が住んでいました)。その部屋は材木とトタンで作られていて、水たまりの上に建っていました。スコールが降るとたいへんで、たちまち大量の雨漏りを起こし、彼女たちは普段みせない敏捷さで水を排除してました。 私はスクムヴィット通りの横丁にあった日本の本を売ってる古本屋で菊半裁判の岩波文庫「ドゥイノの悲歌」を買って時間つぶしに読んでいました。読むというより、見るといった方が正確でしょうか。外国では日本語の活字に飢えますので、日本語を読める、見れるということ自体が日本での体験とは異なっていました。日本語の文字を見れれば何でもよかったといえます。自分が日本人であるということは、日本語の教育をうけているということだと再認識させられました。もしそれがなければ、私はタイ人と化していたかもしれません。 くだんの本ですが、戦前の文庫本なので旧字体で背が今の文庫本より少し高く、時間の経過とともに表紙はちぎれかけ、のどは開いてましたが、糸かがり製本なのでかろうじて折丁は繋がっていて、翻読に耐えました。 私は本という存在の真実を伺い知った気がしました。時を越え、国を越え孤独な者の前に存在した物。このとき古本屋になる予感がしたのは本当のことなんです。しかも古本屋になったのも確かなんです。理想通りにはいきませんが、私は理想を再発見するかもしれません。 私は外国にいて芥川、梶井、萩原の文章を記憶してることに気付きました。下人の行方は誰も知らないとか、レモンイエローの絵の具のチューブから絞り出したような形とか、ふらんすへ行きたしと思えどもふらんすはあまりに遠し、などです。これらは素晴らしい。オリジナルに価値がでたのはそのためだと解釈してます。 話は逸れますが、くだんの彼女ですが、私が連日何もせずに寝転がっているとインスタントラーメンの「ママー」を作ってくれました。どこで調達したのか薄切りの生肉とそこらで引っこ抜いてきたような葉っぱを載せて熱湯をかけます。このとき肉は錆びたカミソリで切ってました。できあがったインスタントラーメンを口にすると私は「美味い」とはっきりと思いました。実をいうと以前独りでそれを作って「不味い」と思っていたのです。なぜ「美味いのか」。それは錆びたカミソリで肉を切ったからだと思います。しかし、もし私が独りで錆びたカミソリをつかっても美味くはならなかったでしょう。自分独りのときはけっして否定的なかんがえから抜け出すことはできませんでした。自分で自分が食べるのにどんなに工夫してもけっして「ママー」は美味くならなかったはずです。それどころかどんな御馳走を食べたとしても美味くはなかったでしょう。 孤独ということを分析してみると、頭の中ですべて否定的にかんがえ、遮断された外界を憎み、自分のイメージ通りに嫌悪する。それと同時に孤独の中には他人にも自分にも理解不可能な真実が潜んでいてそうさせている。 横臥わった完全弛緩の状態から立ち上がり、顔を上げ風景を見つめ歩き出せば、それはもう何かなんです。立って歩いて行けば何かしてるんです。自分の運命(ストーリー)を創り出していくことでしょう。自我は絶対に外界との軋轢に破れ、自分は自分を裏切り、今日したらいいことを明日へ引き延ばし、間違ったことを選択し、時間は確実に過ぎ、毎日はある。それは普通のことです。何かしてるということは、時間が過ぎて行くということは、理想ではなく人生のすべてです。 |
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